バカにつけるクスリ

ほんとにないのか、探し続ける日記。

幸せになってほしい。私は消える。

やっぱり彼のことを考えてしまう。友達に戻る、と言ってから1週間が経つ。

しかし、LINEではちょこちょこ連絡をとっていた。でも、それも終わらせないとな。

彼と別れたキッカケは、私にある。

 

私の言った、酷い一言。

 

本当に疲れていた。発熱している中、仕事を続け、さらに急性胃炎。食べられるものも限られ、体重は4kg減った。

 

自分が惨めでしようがなかった。

 

それでも、少しは休みがとれて彼に会えると思う事は生きている糧だった。

 

なのにそれもぶちこわしてしまった。

本当だったら、会っている時間を私は彼と電話で口論し続けた。

 

どうしてこうなってしまったのだろう。

昨日、私なりに真剣に考えた。

 

・ ・ ・

 

彼と出会ったのは、震災前の2010年頃だろうか。たまたま行った多国籍料理の店で知り合った。私は友人4人と食事をしていて、あるカルチャー誌の話題をしていたとき彼が話しかけてきたのだ。

 

「僕、その雑誌で書いているんですよ」

 

それが知り合うキッカケだった。当時は、私が大阪の広告制作会社で働いているときで、彼は東京から地元である大阪に戻ってきていたのだ。

 

それから大阪と東京で何度か連絡を取り合い、都合があえば会うようになっていた。それに彼はフリーランスだからか、深夜に連絡をしてもレスが早い。肉体的にも精神的にも追いつめられ、それでも仕事を続けてこれたのは、彼のおかげだと今でも思う。

 

私も彼も旅行が好きで、今までに行ったところやこれから行きたい場所について盛り上がった。次第に私は彼のことが好きになっていた。それと同時に、私が憧れていた雑誌に彼の名前が載ることに羨ましさを感じた。

 

大阪にいたころ、二人で旅行しようという話になった。友達として。

しかし、友達として終われるわけもなく、やはり一線を超えてしまった。

 

彼は、「彼女がいないほうが仕事が来る」が当時の口癖だった。だから、「つき合って」「彼女にしてほしい」とは言えなかった。言わせてくれない状況だった。

 

私から告白したのは、ニューヨークに滞在していたときだった。

それ以前にグラフィックをメインとした広告制作会社に勤めていた私は、デジタル広告の拡大とそれに伴うマス媒体の縮小の余波を受けていた。そして、年齢を重ねたところで稼働時間は変わらず、体力的にも限界がきていた。そこで思い切って退職し、すぐに転職先を探さず(多分、同じような会社にしか採用されないだろうと思って)、憧れだったニューヨークの美術大学に1年留学したのだ。

 

ニューヨークでもSNSがあれば、つながっていられる。私たちは頻繁に連絡を取り合っていた。そんな中、私に海外に住む男性とお見合い話が浮上し、それについては丁重にお断りしたのだが、彼に話すと「会えばいいじゃない?」とサラッと流された。私はそのとき思わず「あなたのことが好き、私についてどう思っているのか」と聞いた。彼の返事は当然、「今は彼女を作る気にはなれない」だった。私はそこで憤慨し、彼とつながっていたSNSを断ち切った。しかし、メッセージは送ることができる。半年以上が経ち、再び連絡をとるようになった。けれど、私の中では彼はもう好きな人ではなかった。帰国後、東京で就職先を探していたときにつなぎで行っていたバイト先の社員の人とつき合うことになったのだ。彼には、元カノとの辛い経験が私とつき合っている間も残っており、何かとその過去を引き合いに出しては私に優しく接するよう強要してきた。私は結局、受け止められなかった。現在の会社に就職が決まると、彼とは次第に会わなくなった。私は会いたがるほうだったから、そこでまた衝突して結局別れてしまった。その後、他にデートする人もいたけれど、恋が終わるごとになぜかフリーライターの彼に報告していた。彼は「また男の話?」と呆れたように言った。

 

あやふやな関係を続けていたものの、このままでは前に進まないという思いが頭の片隅にはあった。しばらくして久しぶりにメッセージを送ったとき、私はこう切り出した。「あなたには幸せになってほしい。でも彼女ができたら、私は消える。見えないところで幸せになってほしいんだ」つまりは、まだ気持ちがあるということ。彼は「それってつき合おうってこと?真剣に考えるよ」―それから1ヶ月後、私たちは正式につき合うことになった。最初は本当に大切にしてくれた。びっくりするくらいの彼女扱いだ。振られることを覚悟しての告白だったから、嬉しいというよりうろたえた。しかし、そんな蜜月も一瞬だったように思う。

 

彼には、女友達が多かった。

 

別に会ってもいいのだけれど、私と会うより彼女たちが優先だった。

「みんな仕事つながりだよ。仕事で会うんだよ」

私はそれについては何とも言わなかったけれど、会えないことに腹立たしさを感じていた。しばらくして彼が「束縛されている」と言うようになり、私は会うこともガマンするようになった。

 

彼と会わなくなった秋から冬に掛けて仕事で忙殺され、そこから冒頭のような顛末である。

 

結局、私たちはどこにいても同じだった。都内であろうが、地球の裏側にいようが、心の距離が縮まることはなかったのだ。

友達に戻る、という結論に達したが、何も言わずにフェードアウトするのが一番だと今は思う。

 

・ ・ ・

 

ひとりで生きていけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う。

 

というティファニーのキャッチコピーが好きなのだが、私たちは「ひとりで生きていけるふたり」でしかなかった。

彼はそれを望んでいたのだと思う。平行線で付き合っていけたら、と。けれど私は次のフェーズに進みたかった。

たとえ夫婦にならなくても、一緒にいるとことを強く実感したかったのだ。

 

素直に、そう思う。長々と書いている過程で、そう思い始めてきたので、これで終わりにしたいと思う。

 

補足:

ティファニーのキャッチコピーには、ブランディングの要素が含まれていると思う。

「ひとりで生きていけるふたり」、つまりは経済的に自立したふたりでしかティファニーは買えませんよ、ということ。

そんなふうに読んでしまう私って、いかがなものか…